素晴らしき哉、我が人生

自分の半生と考えを書くブログです

ブログを始めるにあたって~「ヤバい」は本当にヤバいのか~

ブログを始めようと思う

 

思ったことを記録するため。

そして文章を書くことが好きだから。

 

記念すべき初めての投稿は最近思ったことを。

 

年配の方は「ヤバい」を使うことに対して、

「最近の若者は語彙力がない!」

とか思うかもしれない。

「あれはヤバかったねー」とかいうお婆ちゃんを私は見たことがない。そういうお婆ちゃんがいても良いと思うけど。

 

そもそも私は20代で、さらに若い世代はもっと別の言葉を使ってる可能性もあるが、そこは許してほしい。

 

ある映画を観に行って、物凄く感動したとする。

友人にも是非ともお勧めしたい。

その際に

「いやとにかく映像が綺麗で、〜の演技も最高でね…」

と言われてもそれをまだ観ていない友人には上手く伝わらないと思う。

「とにかくヤバかった」

とか言われる方がまだ気になるんじゃなかろうか。

 

一緒に友人と同じ映画を観た時はどうだろう。

「あのシーンのあそこが良かったよね。」

さっきよりは良いと思う。友人もそのシーンは観てるのだから。

でも自分の中にとてつもない感動や気持ちの昂りがあった時に、言葉を介してしまうことでどうしても本来の気持ちから劣化するような気がする。

 

英語の本を翻訳して日本語にしたとして、どんなに翻訳が上手かったとしてもそれはオリジナルではない様に。

さらにいうと作者も自分の考えを文章にする際、どうしてもそこには微妙なズレが生まれるものだと思っている。

 

それを語彙力がないと言われれば確かにその通りなのだけど、そのズレを非常に少なくできるのはほんの一握りの人しかいないと思う。

 

そんな時は「ヤバい」を使うこともいいんじゃないか。

もちろん「言葉には言い表せない」とか「筆舌に尽くしがたい」とかもいいのかもしれないけれども。

自分の気持ちの高まりや感動を相手に伝えるという意味では「ヤバい」が一番シンプルでわかりやすい。

なんでもかんでも「ヤバい」と言ってしまうのは良くないと思うが、これをもし読んでくれた方がいれば今後はこれを基に用法用量を守って「ヤバい」をお使いいただきたい。

 

お爺さんやお婆さんは「ヤバい」時はどうしてるんだろうか…

 

こんな話は普段の生活では到底同僚や友人に話すことはできない。

だからひっそりと、観る人は1人もいないかもしれないけど、こうやって今後書いていきたいと思う。

そしてここではできる限り「ヤバい」を使わずに自分の気持ちと文章のズレをなくしていきたいと思う。